ロス










逸る鼓動を抑えきれず、今にも叫び出したいその衝動をぶつけるよう、竜也は手渡されたタオルに顔を突っ伏した。
全身の毛穴という毛穴から心地よい汗が噴き出している。
擦りむいた右膝も今では気にならなかった。
 
―――勝った。
 
それも十分すぎるほどの4-2
今日のゲームメイクは今まで経験した数ある試合の中でも、5本の指に入ると自負している。
今日は永遠のライバルと言われている韓国との親善試合だった。
U-18
と言えどその能力は折り紙つきで、2年前に東京選抜として戦った時点では同点という形をとったが、残り数分での鮮やかな巻き返しは、今思い出すだけでも背筋が凍る。
実際、潤慶はあの頃より格段に上手くなっていた。
1
1で渡り合ったとしたら、正直どうなるかわからない。
しかし今日韓国と対戦したのは、あの頃の東京選抜ではない。
U-18
日本代表なのだ。
それを強く実感させたのが………。
「やったなシゲ!ぽかぽかシュート打ちやがって〜」
「なんやの、ボールもやっぱイケメンに打ってほしいさかい」
「なんだとコラー!生意気なヤツはこうしてやる〜!!
この試合4点中3点を入れ見事ハットトリックを成し遂げたシゲは、チームメイトにもみくちゃにされて水をかけられている。
東京選抜が礎となって構成されているU-18日本代表の中で、成樹の存在は異質だった。
天性の素質に加え、一度開き直ってサッカーと向き直った強靱な精神は、他の者の追随を許さない。
一人抜きんでた実力に、一部では早くもワールドカップでの活躍を期待されている。
成樹はそんな噂を知ってか知らずか、果てまたそんなプレッシャーをはねのけたのか、今日も軽々と秀でた実力を見せつけていった。
そんな成樹を僻む者や悪く言う者はチームにはいなかった。
今も無邪気にチームメイトと勝利の余韻に酔いしれている。
つくづく器用な男だと思う。
竜也はそんな成樹をじっと目で追った。
「お疲れさま、水野」
肩をぽんと叩かれ振り返ると、そこには涼しい顔をした渋沢が立っていた。
「渋沢さん…!」
「今日はいい試合だったな。
 失点をもう少し抑えられたらよかったんだが、韓国もそう易々と交わせまい」
「そうですよ。潤慶なんか確実に手強くなってましたしね。
 2枚張り付いても安心できない」
「水野竜也もよくやったじゃないか。
 得点したのは藤村だが、藤村と水野のコンビネーションが要だったと思うぞ。桜上水からの付き合いだもんな」
「…ありがとうございます」
ふと竜也が目を伏せる。
「どうした?浮かない顔だな」
「…アイツは器用だから、誰とでも合わせられるんですよ」
そう言ってうなだれる竜也を、渋沢は優しく窘めた。
「本当にそう思ってるんだとしたら、それは違うぞ。
 あのパスはお前だからだ、水野。
 お前自身もあのパスに応えてくれるのは、藤村だと思っているんだろう?」
そう爽やかに顔を綻ばせると、渋沢は竜也の隣を擦り抜けていった。
 
確かに俺のパスはアイツの呼吸にぴたりと合う。
シゲにボールを上げる瞬間は、最高に気持ちいい。
シゲなら応えてくれる、俺の力を更に引き出してくれる、という安心感がある。
その安心感は俺だけじゃなく、周りにも認められている事。
でもアイツは何も言わない。
心の中はぽっかり穴が空いたように落ち着かない。
竜也が振り返ると、なりやまぬ歓声が誰もいないフィールドを包んでいた。
 
 
 
更衣室のドアノブに手を掛け、不意に視界に飛び込んできたのは金髪だった。
胸がどきりと高鳴る。
中には成樹が一人、黙々と着替えている。
「おっ、タツボン!」
成樹もこちらに気づいたのか、竜也に向かって陽気に声をかけた。
一息ついて、何事もなかったかのように「お疲れ」と短く声をかけ、竜也は成樹から少し離れたロッカーの戸を開いた。
成樹も応と言ったきり、何もしゃべらない。
沈黙をかき消すように無臭の制汗剤を巻き散らして、竜也は早くこの場から立ち去りたかった。
着替えのシャツに腕を通す。
上着を被ったところで、沈黙を破るよう戸口からチームメイトたちが、わっと現れ、「なあ、藤村〜!水野〜!」とそれぞれを呼んだ。
竜也が渋々振り返ると、チームメイトたちがにこにことこちらを向いている。
「これから永遠のライバル韓国に完勝記念!!ってことで、みんなで打ち上げ行くらしいんだけどさー、お前らどうする?」
「今日はあの細川コーチも来るらしいぜ!
「なあ、藤村、お前は来るだろ?」
チームメイトたちが一頻り喋った後、視線が一同に成樹に向く。
「んー、俺今日は夜行やねん。やめとくわ」
「なんだよ、今日もう帰んの?!
「国際試合でハットトリック決めちゃう天才シゲちゃんは、どこに行っても引っ張りだこなの」
汗だくになったユニフォームを仕舞う成樹のバックの中には、今夜使う日用品がちらほら見え隠れする。
その様子を竜也はちらりと見ていた。
「あーはいはい。水野の絶妙なアシストがあったからだろ〜。
 よくあの場面でセンタリングが上がると思ったよな。
 ほっんとお前ら息が合う、いいコンビだよ」
「どないしよ〜タツボン、俺ら結婚しちゃう?!
「はあっ?!
突然話を振られて、竜也は思わず咳込む。
「ざっけんな!俺は誰とでも息が合うんだよ!」
「なんやの〜この浮気者〜!」
「なんだよ早速、痴話喧嘩おっぱじめる気ィかー?」
「うるっせー!!!
ヤブヘビ…彼はぺろっと舌を出しながら、今にも食ってかかりそうな竜也の剣幕にたじろいだ。
すかさず仲間が助け船を出す。
「で、水野はどうする?」
「俺もパス!みんなで行ってきてくれ」
「しゃーねーなあ。次は来いよー!」
物凄い形相で睨みつけている竜也を後目に、いそいそとチームメイトたちは更衣室を飛び出していく。
呆気にとられているとその場には、二人と沈黙がぽつんと残ってしまった。
どうしようもなく頭を掻く成樹の癖が嫌で、竜也はさっと背を向けた。
成樹が口を開いた。
「なあ…、久々に吉野家、行こっか」
「へっ?」
予想だにしてなかった言葉に、思わず変なところから声がでる。
「最近、俺、肉食うてないんよ。
 肉食いてー!牛丼食いたいねん」
そう言いながら、成樹は身振り手振りで肉を表現する。
「夜行バスはいいのかよ」
「だアホ。夜行やもん、夕飯食う時間くらいあるわい」
「お前って…時々わかりやすいよな」
「はっ、お前ほどじゃないわ」
ちょうど着替えを終えた竜也は、成樹の方を振り向くとロッカーの戸を閉めた。
 
 
 
 
 
駅前にある吉野家は、夕飯時ということもあって、そこそこ込んでいた。
くたびれた中年のサラリーマンが一人でボックス席を占領するものだから、二人は自然とカウンターに並んで座った。
成樹の前には、大盛りの牛丼が2つ、つゆだく、豚汁付きで並んでいた。
その横で竜也はすました顔で並を食べている。
「なんやの、相変わらず小食やのう」
「お前のその豚汁、よく飽きないよな」
「俺にとってのお袋の味やねん」
「お前それ、すき家でも言ってた」
「ちぇっバレたか。親父の味にしとけばよかったんか?」
「変わんねーって」
 
成樹が京都の高校に通うようになって、二人でこうして食事をするのは本当に久しぶりだった。
度々ある代表合宿の時に顔を合わせていたものの、桜上水にいる時と比べて、顔を見る回数はかなり減った。
お互いがそれぞれ忙しくなり、週1だった電話が、今では23ヶ月に1回、それも内容は合宿のことばかり
いつしかそれが寂しいとも思わなくなっていった。
シゲにはシゲの生活があるんだろう、と思えるようになっていた。
それでも、食べ物の好みも、憎まれ口も、何一つ変わってない成樹の横顔を見たら、さっきまでのしょうもない懸念は消えていった。
「今、京都でどうなんだよ」
今更こんなことを聞けるようになったのは、心境の変化か…。
「どうって…ぼちぼちやっとるよ。
 俺今一人暮らししとんねん」
「お前らしいな」
「ただ学業との両立はできてへんわ。俺にはサッカーがあるさかい」
「サッカーの性にすんなよ」
成樹がにかっと笑う。
それに連られて、竜也も笑った。
コイツが今でもサッカーを続けていてくれたことが、嬉しかった。
突然、成樹の携帯が鳴った。
成樹は慌ててバックから取り出すと、画面を見て何の気なしに呟いた。
「それと、彼女おんねん」
「………え?」
まだかまだかと待ちわびるコールに急かされて、成樹は携帯を耳に当てる。
 
「どうしたん?俺まだ東京におんで」
 
「おー勝った勝った4-2で勝ったで!
 よぅ聴きぃ、4点中3点が俺やで。ハットトリック決めてん」
 
話しぶりでわかる。
 
「だアホ、実力や」

よっぽどシゲと仲がいい相手なんだろう。

 
「ああ〜っ?!何やて?!東京に来る?
 お前が早よ帰ってこい言うから、夜行取ったんやろ!
 もう乗った?
 だーもう、ふざけんな!あほんだら!」
 
なぜだろ…。

「わーった、明日朝迎えに行くさかい…」
 
おもしろくない。

「ああ、俺?俺はそやな…目の前のダチんとこ泊まらせてもらうわ」
 
「ああ…ほなら、また」
 
ようやく話を終え、成樹は携帯を机の上に置いた。
「と、言う訳なんやけど」
「…どういう訳だよ」
またまた〜とシゲが擦り寄ってくる。
未来のファンタジスタだのなんだの茶化したように煽てやがって。
「…勝手に決めんなよ…バカ…」
シゲがこの場は奢る、と勝手に支払いを済ませてしまったので、渋々家にあげることを許した。

どうしようもない、こんなことばかりだ。
 
 
 
 
 
なんだかんだ話疲れて、家に戻る頃には、夜中の0時をまわるかまわらないかといった刻限になった。
端から家を宛にしている成樹を連れて帰ると、美容に悪いからと夜更かしをしない水野家はしんと寝静まっている。
こっそり成樹を部屋に通して、明朝またこっそり帰せばいいかとか、ぼんやりとそんなことを考えていた。
「これ何や〜?」
一足先に部屋に踏み入れた成樹は、机の上に無造作に置かれていた封筒をひっ掴むと、ベットに飛び込んで、悪びれた様子もなく勝手に文面を読みあさった。
「おっまえ!勝手に何やってんだよっ?!
竜也も必死で取り返そうとするが、成樹は二転三転と身体を自由に捻ってそれを交わす。
こういう時にでも身体能力は遺憾なく発揮されるのかと思うと、ため息が出る。
「シゲっ!」
じゃれ合ううちに、成樹は白い改まった封筒から手紙を取り出した。
薄く紅の色づいた便せんからは、丁寧に書かれた文字が並ぶ。
口元をニヤニヤ歪ませて、それを目で追っていた成樹を、竜也はついに我慢できなくなって、足で思い切り蹴飛ばした。
「うおっ」
成樹の身体は一気にバランスを崩し、そのまま冷たいフローリングに打ちつけられる。
勢いがつきすぎたのか大きな音がして、はっと振り向くと、成樹は仰向けに倒れていた。
どこか遠くを見るような目で宙を見ている。
「…大丈夫かよ?」
指先ひとつ、ぴくりとも動かない成樹を見かねて恐る恐る顔を覗き込むと、成樹は持ち前の器用な口角を吊り上げて、にかっと笑い白い歯を見せた。
「ええ子やん」
手紙の内容はラブレターだった。
 
昨日の放課後、藤代に呼び止められて何事かと思ったら、そこにその娘がいた。
詳しいことは知らないけれど、藤代の友達らしい。
髪の長い清楚な印象の子だった。
その娘は慌てて鞄から何やら取り出し、それを竜也の胸に押しつけると、その場から逃げるように走り去っていった。

「今時ラブレターなんて古風やん。きっとええ子やよ」
竜也はまだ中身を読んでいない。
開けるだけ開けて、文面を読む気にはなれなかった。
人の純粋な気持ちをまじまじと垣間見ることなんか、今の自分にはできそうになかった。
成樹から手渡された便せんにちらりと視線を寄せて、そのまま封筒にしまった。
その様子を成樹は黙って見ている。
「なあ、タツボン、明日暇?
 ダブルデートせえへん?」
「はっ?」
抑揚を抑えたはずの声が思わず声が裏返る。
成樹はベットに横たわると、おいでおいでと竜也に手招きしてみせた。
「なあ?そうしよ。
 俺らの東京観光付き合って〜な〜」
「ばっかじゃねーの!おまえらだけで行けよ!」
「タツボンの彼女、俺も見てみたい♪」
「彼女じゃねーよ!!
「会うだけ会うてみたらええやん。
 どうせおまえ明日行かへんつもりやろ?」
「へ?」
竜也は慌てて便せんを広げると、そこには確かに明日の日付と待ち合わせ場所、ご丁寧に連絡先まで書いてある。
無意識の内に成樹の方を見やると、成樹は時折見せる大人びた顔で目を細めていた。
「おまえにはファンは多いけど、本当に付き合いたいとか正面からぶつかってきてくれる子、少ないんとちゃう?
 断るにしても、誠意を持たな」
成樹は竜也をじっと見ている。
竜也はどちらかと言うと、こういった成樹の目が嫌いだった。
何もかも見透かした目で…何もかも受け入れた目で…。
「…知った風な口聞くなよ」



シゲは、俺には関係ないといった顔をしながら、その癖やたらお前はこうだから、と断定したがる。

何でお前はいつもわかりきった顔で、俺のことを見るんだ。

俺はお前のことなんて何一つ知らない。

何一つ、俺にお前のことをわからせようとしないくせに!



「お前なんかに…お前なんかに俺の何がわかるって言うんだよ!!
竜也は側にあった枕をひっ掴んだ。
思い切り振り下ろそうとして、成樹にその手首を掴まれると、そのまま勢いに乗ってなだれ込むように唇を塞がれた。
二人のバランスが崩れてベットの上に倒れ込む。
その反動でベットが小さく跳ねた。



成樹とのキスは中学の時以来だった。
何もわからない手探りの頃、流されるままにしてしまったキスが幾度となくある。
言いたいことも確かめたいことも、全部キスに飲み込まれて。
あの時と、お前も俺も違うのに、二人の関係だけが何も変わっていない。
このまま見えないものに縋りつくのは嫌だった。



「や……めろっ…!」
力一杯に成樹の身体を押し返す。
離れていった成樹の表情は、とても冗談だとは思えなくて、竜也は反射的に目を閉じてしまった。
目頭にぐっと力を入れると、わけもわからないのに涙がこぼれ出た。
「わり…してもうた」
成樹の長い親指が涙を拭う。
竜也はそれをはねのけると、両腕で必死に顔を覆って、唇を噛むように噤んだ。
「なあ、それは肯定?否定?」
成樹から漏れる息が頬に吹きかかる。
それが怖くて、竜也は身を縮めると何度も首を振った。
そんな竜也を見て、成樹は呆れた様子でくつくつと笑った。
「…中坊ん時やったら、こんなんで満足できんのにな」
「………おまえ……最低だ」
「…さいですか」
「安心せえ。もう何にもせえへんから。おやすみ」

そう言って背を向けると、成樹はわざと間を空けて寝転んだ。
丸まったその背に、ほんとは触れたかった。
でも、そうしてはいけないような気がして、できなかった。
成樹の気持ちが知りたかった。
いるのかいないのかわからない朧気な背中ばかり見てるわけにはいかなかった。
俺には成樹の姿なんて、何一つ見えないと言うのに。





なあ、シゲ。



お前は、今も昔も、何て言ってるの?


もちろん続きます(笑)
竜也さん誕生日おめでとう文です!
デフロスターとは車用語で、窓の曇り止め装置のことです。お互いの気持ちが曇りガラスを隔てているのでよく見えない。曇りがとれればお互いの気持ちが見えてくる、といった意味でつけました。
back

[★高収入が可能!WEBデザインのプロになってみない?! Click Here! 自宅で仕事がしたい人必見! Click Here!]
[ CGIレンタルサービス | 100MBの無料HPスペース | 検索エンジン登録代行サービス ]
[ 初心者でも安心なレンタルサーバー。50MBで250円から。CGI・SSI・PHPが使えます。 ]


FC2 キャッシング 出会い 無料アクセス解析