―好青年3― 事前に情報を入手していたにも関わらず、今一歩出遅れた遠呂智軍および魏軍は、夜明けと共に南蛮の地に配した各拠点を急襲された。 軍を率いるのは、劉備の解放を一心に願う趙雲を筆頭とする旧蜀軍。 この地を擁していた南蛮王孟獲をも仲間に引き入れ、縦横無尽に暴れ回っていた。 魏軍の拠点のいくつかは最早敵の手に落ち、辺りに飛び火している。 そんな中、本来ならば真っ先にこの地で起きた事態の収拾をつけるべき張コウが一向に動かない。 不穏な空気を感じた曹丕は予定よりも早く赴くため、自ら鎧に身を包んだ。 「もう一度念を押すが…」 曹丕は具足の紐を堅く引き締めながら、何の防具も着けず側で腕を組んでいる男を見上げた。 「真田幸村は、本当に任せて大丈夫なんだな?」 「くどいぞ、曹丕。 無論だ。幸村は必ず俺の元へ戻る」 戦が目的ではない三成は、悠々閑々と曹丕を見下ろしていた。 どこからその自信が来るのか、不敵な笑みを浮かべている。 もし、と言った概念は存在しないらしい。 もっともその方が都合が良いのだが。 曹丕が立ち上がる。 三成はその後を追った。 「………俺の、か」 「何か言ったか?」 「…いや…」 用意された白馬に跨がると、曹丕は後方を指差した。 「三成、お前はこのまま南下して、軍を進めろ。 お前の真田幸村がお待ち兼ねだ」 意地の悪い笑みを浮かべた曹丕を睨みつけた三成だったが、敢えて否定はしなかった。 存外、三成もそう思っているのかもしれない。 「して、お前は?」 「俺は北上して、拗ねた部下のご機嫌伺いだ」 「フン、飼い犬はちゃんと繋いでおけ」 先のお返しとばかりに強がって見せる三成を尻目に、曹丕は駆け出した。 この先三成はどんな顔をして真田幸村に会うのだろう。 そんな考えがぼんやりと頭を過ぎったが、曹丕にとってそんなことはどうでもいいことだった。 「危ない、幸村殿!」 そう背後から突き飛ばされ、幸村はハッとした。 前のめりに倒れ込む胴体をくるっと反転させ身構えると、そこには幸村の胴体を突かんと押し出された切っ先が、間に入った趙雲の真横を擦り抜け、趙雲の穂先は相手の胴に深く突き刺さっていた。 瞬く間の出来事に、ぽかんと口を開けていると、何とも満足げな趙雲がすっと手を差し出した。 「幸村殿、まだ行けるか?」 「勿論です」 挑戦的な趙雲の笑みに、幸村はむっと口を尖らせ、趙雲の手を借りずに立ち上がった。 二人は背中をぴたと合わせ、互いの熱い鼓動を確かめ合う。 軍の編成は既に乱れ、押したり引いたりの入り乱れた混戦状態。 幸村と趙雲はそれぞれ騎乗していた馬も討たれたが、そこは天下に名高い名将、二人は槍一つ我が身一つで、恐れることなく競うようにその場をどんどん斬り進んで行く。 血の惨劇の中、舞うように槍を振るう二人の姿に、一人また一人と遠ざかっていった。 怯えた兵士たちが駆け出し、辺りの人気が引くと、幸村はようやく槍を下ろした。 「随分と突き進んでしまいましたね」 「ああ、我々だけ突出してしまった」 趙雲も槍を下ろすと、くすりと笑みを零した。 周囲にはこれといって何もなく、岩肌だけがむき出しに広がっていた。 「これでは援軍は暫く到着しないな…大将失格だ。 しかし私は幸村殿と共に戦えて、嬉しかった」 「それは私もです! 趙雲殿でなければ、こんなに心が熱くなることはなかった」 幸村と趙雲は顔を見合わせると、どちらかともなく微笑んだ。 彼らの動きはまるで一つの生き物だった。 趙雲が右を突けば幸村は左を突く、趙雲が前を突けば幸村が後ろを突く。 相手に絶対の信頼を寄せ、互いの死角を補い合っていた。 ぴたりと技が嵌まったときの壮快感は、二人だけが味わえるものだった。 ふと趙雲が真面目な顔を見せた。 今し方朗らかな笑みを浮かべていた顔とは打って変わって、眉一つ動かさない精悍な顔つき。 幸村はどきりとした。 「幸村殿は、今は…何を考えておられた? 戦っている最中は一体何を?」 「………? 何をと…言われましても…」 幸村は解けない謎掛けをされているようで困惑した。 「私のことを……、少しでも考えていただけただろうか?」 じっと曇りのない瞳で、しっかりとした足取りで、趙雲がまた一歩近付いて来る。 これは昨晩の趙雲殿だ。 何か言いたいことを胸に秘めている趙雲殿だ。 幸村の心の隅に置いてあったものがほんの少し重くなる。 「…趙雲殿」 爪先が触れ合いそうな距離になっても、幸村はその名を呼ぶのに精一杯だった。 「幸村殿…」 その瞬間、趙雲の手がわっと伸びて、幸村の身体を引き寄せた。 「ちょ…趙雲殿っ…あの…」 丁度肩口の辺りに頭を押しつけられ、幸村が口籠る。 幸村の鼻腔に汗の混じった趙雲の匂いが広がった。 それが照れくさくて、幸村はもじもじと身体を動かし腕の中から逃れようとする。 「…幸村殿…、大事ないか…?」 口許を耳に寄せてそっと囁くと、趙雲は幸村に凭れかかった。 趙雲の身体は小刻みに震えていた。 「趙雲殿?」 趙雲の身体の震えはますます酷くなり、両足の関節が折れてしまったかのように、だらりと幸村に垂れ下がった。 「趙雲殿…?!」 流石に幸村も異変に気付き、崩れた趙雲の身体を支えるよう背に手を回した。 すると、脇腹の辺りで手のひらを覆ったものに気付く。 恐る恐る手のひらを見ると、そこにはまだ乾くことを知らない浅黒い血がべたっとついていた。 「!!」 よく見ると脇腹の辺りから溢れ出る血液がぽたぽたと伝い、地面を汚している。 「…っは…はっ…はっ…」 「趙雲殿っ」 趙雲の吐く息が、熱くて短い。 顔面は蒼白になり、額にはうっすら汗を浮かべている。 「これは…毒?! もしや先程私を庇ったときに…」 幸村の身体中の血がさっと引いた。 趙雲が自分を庇って手傷を負い、今こうして苦しんでいる。 何とも表しがたい暗々とした想いが身体中から沸き上がった。 辺りに伏兵がいないか念入りに調べあげ、息の浅い趙雲を岩壁の下そっと寝かしつける。 趙雲は眉間に皺を寄せ、今も苦しそうに息を吐いていた。 時は一刻を争う。 幸村は意を決すると、趙雲の胴当てを外し、力を込めて上着を切り裂くと傷口を露わにした。 「はっはっ…幸村殿…何を…っ」 「出来る限り毒を吸い出します!」 傷口に目をやると、傷はさほどでもないにしろ、毒のせいかなかなか血が止まらない。 幸村は趙雲の上に乗り上げると、身を屈んで趙雲の脇腹にそっと唇を寄せた。 そしてそのまま溢れ出る血液に引き込まれるよう、唇を開くとじゅっと音を立てて吸い込んだ。 「うあっ」 傷口を抉る鋭い痛みに趙雲の身体がびくりと跳ね上がる。 幸村は上から重心をかけて必死に趙雲を押さえ付けた。 「趙雲殿…もう少し! もう少しだけ我慢して」 趙雲がこくりと頷いたのを確認して、幸村はもう一度傷口に吸い付く。 「っつぅ」 今度は趙雲もじっと我慢して跳ね上がらなかった。 口を寄せて毒を吸い、それを吐き出す。 何度かそれを繰り返し、ひとしきり吸い終えると、幸村は自身の甲胄の紐を解き、その中に趙雲の胴体を通すと心臓側に向かって締め上げた。 「趙雲殿、毒は吸い上げました。 直に援軍も参るでしょう、もう少しのご辛抱です!」 趙雲は幸村の励ましに応えるよう、虚ろなまなざしを上げた。 目の前にある幸村の口許は趙雲の紅い血で汚れ、側には血の吹き溜まりが出来ている。 趙雲は震える指先を幸村の口許に寄せ、唇を覆う真っ赤な血を、指先でぐいぐいと拭き取った。 本来の肌の色が見えるようになると趙雲は満足げに微笑んでみせた。 「…無茶なことを」 その微笑みは、幸村の胸をほんの少し締め付けた。 「こんな所で会うとは奇遇だな」 「誰だっ?!」 背後から聞こえた声に反応して、幸村は趙雲を庇うように手を広げた。 大きな岩陰から人影がひとつ、のそっと姿を現わす。 灼熱の太陽がじりじりとその輪郭を辿っていくと、そこには幸村が誰よりも恋い焦がれた男の陰がゆらゆらと揺れていた。 「三成殿!」 鈴の音のように凜とした幸村の声が辺りに木霊した。 「このような戦になぜ…」 幸村はその名を呼ぶも、まさかと思った。 生きているのか、死んでいるのか。 どこにいるのか、どこにもいないのか。 何の手掛かりもないまま徒に時が過ぎ、心の奥底にひっそりと沈めていた想いが、浮かび上がる。 感情を押し殺したまなざしで、それでも口許の綻びを直せずにいる三成を見て、幸村は今すぐにでも走って三成に抱き付きたい衝動に駆られた。 会いたかった、ずっと会いたかったのだと…。 しかし幸村はそうしなかった。 後ろで弱々しく息を吐く趙雲に目配せをする。 三成は二人の前まで歩み寄ると、横たわる趙雲の顔をまじまじと見つめた。 「貴様が趙子龍か…どこか幸村に似ている」 「はっ…幸村殿の知り合いなら歓迎するが…いかがかな?」 趙雲が息も絶え絶えに上半身を起こしたので、幸村は慌ててそれを支えた。 「せっかくのお誘いだが、俺にも考えがあるのでな」 そう静かに言うと、三成の視線が趙雲から幸村に移る。 「幸村」 久方振りに呼ばれるその音だけで、幸村の胸は静かに高鳴った。 そんな幸村の様子を知ってか知らずか、三成が淡々と喋り出す。 「俺は訳あって魏軍に属している…」 「…魏軍に…!?」 魏…と言うことは遠呂智軍、つまりは敵同士。 幸村の胸に衝撃が走った。 「なぜ三成殿ともあろう方が遠呂智などに組みするのです?!」 「話せば長くなる。 ええい面倒だ!来い、幸村!」 三成はすっと立ち上がると、何の迷いもなく幸村の前に手を差し出した。 顔色一つ変えない三成の表情と、少し汗ばんだ手のひらを交互に見返しても、何も考えられない。 三成殿は今何とおっしゃったのだ…? 私は一体どうすれば…。 「だめだ幸村殿…っ! はっは…行ってはだめだ…」 目の前が真っ暗になり呆けていると、後ろから趙雲の声がし、幸村はびくっとした。 「……どうした?幸村」 優しく問掛けてくる三成とは目が合わせられず、幸村は俯く。 その煮え切らない態度に三成はむっと不満を顕わにすると、幸村の顎を掴み、ぐいと上向きにさせた。 否応にも三成と目が合う。 「やっ」 三成の執拗とも言える目線から逃れたくて、幸村は顎の手を払うように首を振った。 「…ほう」 三成は静かに感嘆の声をあげると、それを逃すまいと幸村の口をこじあけ、強引にその指を捩じ込んだ。 「ふっ…んぁ」 突然の妄挙に幸村も思わず声を上げる。 なぜこんなことを…。 三成の人差し指と中指が幸村の口内をいやらしく動き回り、幸村を翻弄する。 口内のあちこちを刺激され、嫌だ嫌だと思っているのに身体の奥から熱くなってくる。 幸村は最早何が何だかわからなくなっていた。 「幸村殿っ」 後ろから趙雲の怒気を含んだ声が聞こえ、幸村は身体を震わせた。 ずっと、三成殿にお会いしたかった………。 趙雲殿や蜀の方々に囲まれている間もずっと、本当はあなたのことを。 あなただけのことを………。 でも…。 「幸村殿っ!」 自分でも気がつかない内に、趙雲の切ない微笑みが浮かんでいた。 趙雲殿は身を呈して私を守ってくれた。 趙雲殿にも守りたいものが、貫きたい想いがあったはずなのに。 傷口から毒を吸い出した私に「…無茶なことを」と、私のことを心配してくれた。 私が今守りたいものは………。 幸村はこのまま意識を持っていかれまいと、思い切り三成の指を噛んだ。 「むっ」 反射的に三成の指が引き抜かれる。 三成は紅い血の流れる指先を見ても、何が起こったかわからなかった。 「私は…三成殿の元へは行けません」 幸村は上擦る呼吸を整えると、目頭に涙を浮かべた瞳で、それでも真っ直ぐ三成を見据えていた。 |
ようやく三幸が出会ったにも関わらず、相変わらず趙雲のターン 三成殿にとっての「信じられんな!」的展開(笑 本作のセリフををこうやって解釈すると楽しくてしょうがないですね! |
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