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「クック…飼い犬に手を噛まれたな」
「……な何かおっしゃいましたか?」
今までじっと黙って、瞬きもせず地平線のさらに向こう側を眺めていた曹丕が、その薄い唇を開く。
側についていた副将は、曹孟徳のまなざしを確かに引き継いだ彼の瞳の先を見据え、唖然として息を飲んだ。
一部前線では激化した戦闘が絶え間なく行われているというのに、一歩引いたこの陣は何だろう。
兵たちは酒を飲み、歌を歌い、舞いを舞う。
本来ならば後詰めに入らなければならないこの場所で、戦なんてなんのその、彼らは思い思いに悠々とその時を楽しんでいた。
それを見た曹丕の配下たちも黙っちゃいない。
憤りを隠せず、声を荒げ中には隊を飛び出し、食ってかかるものも出始めた。
「曹将軍!このままでは暴動が起きます!
 内部分裂など以ての外、戦どころではなくなります!」
そう副将が叫んだ矢先、曹丕配下の兵士が、舞いを舞っていた男を後ろから殴り、その騒ぎはたちまち火を見るように大きくなった。
やれ!やれ!と血気盛んな兵士たちが囃し立てる。
一段と高いその場所から様を見れば、一欠片の砂糖に群がる蟻のように瞬く間に黒々としていく。
それまで曹丕に付き従っていた兵士たちも、何の檄も飛ばさない将軍の隣りを擦り抜け次々なだれ込んでいった。
「曹将軍!何とかしてください曹将軍っ!
 こらー戻れ戻れ!軍の規律を乱すなーーー!」
いくら副将が諫めても、もはやその声は誰にも届かず、副将はその場にしゅんと座り込んでしまった。
一縷の望みをかけて持ち上げた視線が、ようやく曹丕とぶつかる。
「…しつけが必要だな」
「え?」
曹丕はふっと鼻先で笑うと、兵士たちの騒ぎなど見えているのかいないのか、焦点の定まった先へと一心に馬を走らせた。





なおも指先からは血がぽたぽたと滴り落ち、三成は己の指と幸村の顔を交互に見合わせた。
覚束無い足をじりじりと一歩また一歩と少しずつ遠ざけ、幸村は三成の元から少しずつ離れていく。
二人は瞳を一度も逸らさず吸い着くように見つめ合いながら、身体の距離だけは離れていった。
そのまま手を伸ばしても届かぬ距離になり、幸村の方からすっと目を逸らす。
二人の距離をあざ笑うかのよう一陣の風が吹き荒れると、三成は無性に腹が立ち、持っていた鉄扇を大きく振り上げ地面に向かって勢いよく叩き付けた。
ぴしゃりと袂を分かつ無機質な音が辺りに響き渡り、それぞれの鼓膜を打ったはずなのに、幸村は身体を震わせただけでこちらを見ようともしなかった。

なぜだとか、どうしてだとか疑問はいくつも頭を駆け巡ったのだが、ひとつ答えに辿り着いた時には、裏切られたのだと思った。
信頼していた。
愛していた。
だからこの俺に背くとは思わなかった!
あんなに従順だった幸村が!
会えない月日がおまえを変えたのか?
おまえにとって俺はその程度の…
ふざけるな!
俺はこんなにも…こんなにも…!

形に表さなくとも、想いは伝わるものだと、受け入れられているのだと、信じて疑ってはいなかった。
自己表現の不得手な石田三成という男の出来うる範囲で、愛情を表現していたつもりだった。
それを一心に浴びたはずのその男が、するりとその間を抜けていく。
横たわる趙子龍の元へ駆けていく。

俺に背を向けて…―――。

三成はただただそれを黙って見ていた。
趙雲の元まで駆け寄った幸村は、その背にそっと手を添わせている。
三成を拒んだその手が趙雲の手に触れている。
「…それが、お前の答えか?」
その後の思考は自分でも驚くほど、冷め上がり急降下の一途を辿った。
「その男の下で飼い慣らされたか?」
幸村は何も答えない。
乾いた唇をきゅっと噛みしめ、じっと趙雲を見ていた。
「ひとつ、忠告しておこう」
今思い出したかのように三成は、身を屈み足下に転がる鉄扇を手にする。
がじっ…がじっ…と何かを毟る気味の悪い音が聞こえ幸村が横目で伺うようにして見ると、三成は鉄扇の先を指で鳴らしては遊んでいるようだった。
「俺が共もつけず、たった一人でお前たちの前に姿を現すと思ったか?」
「…三成殿?」
三成の凍えるように冷たい瞳が瞬きもせず、宛もない遠くを見る。
その瞬間嫌な予感が背筋を駆け巡った時には既に遅く、三成のまなざしの先からぽつぽつと人陰がざわめき始めた。
「その男の、その傷。 どの隊の兵士だと思う?」
溢れ出る憎悪をねじ込むように突き出された人差し指は、虫の息の趙雲を差し、その隣で定まらない視線をゆらゆら震わせている幸村をも捉えていた。

ただ単純に恐ろしかった。
今まで味わったことのない三成からの直接的な憎悪というものは。
以前三成が一人心を閉ざし屋敷に閉じこもったことがあった。
あの時の全身の毛を逆立てて拒絶するような瞳とも違う。
拒絶や敵意ではない。
もっと明確な理由を持ち、窮屈な中に濃密に注がれる憎悪。
その冷たいまなざしが語りかけてくる。

 おまえを憎んでいるのだと…―――。

「…どうして、こんなことに…」
幸村のか細い呟きも聞こえないまま、三成は瞼を閉じると暗い闇の底へ沈んでいった。



 憎い―――。
ひたむきに前へ向かって突き進む姿勢も
おおらかで穏和な態度も何もかもを受け入れてくれる優しさも
今まで与えられてきたそのすべてが、他の男に向いているのだとしたら
これまで注いできた愛情も、護りたかったあの安らぎもその全部を犠牲にして、憎しみに変えてもいい。
その四肢を斬り取って、眼をくり貫いて耳鼻を削いで、口を閉ざして、めちゃくちゃにかき乱して粉々に噛み砕いてやりたい。
聞こえない耳元で『お前は俺のものだよ』と全身に浴びせるほど、吐いてやる。
積み上げてきたものを壊すように、今はお前をむちゃくちゃに壊したい。

この胸が張り裂けそうだ!

おまえをどうにかしたくて張り裂けそうだ!

たとえその先に待っているのが、俺自身の地獄だとしても。



三成は手にした鉄扇を振りかざし、低い声で一言、「殺れ」と命じた。

その合図を皮切りに槍や刀剣を持った兵士たちが、奇声を上げ二人めがけて一斉に詰め寄る。
「…三成殿っ!」
その瞬間、側にあった槍を手に、幸村も震える心を無理矢理掴み取る。
それまで伏せていた趙雲も重い腰を上げ、幸村の前に立ち塞がった。
「…幸村殿っ…逃げろ!」
「趙雲殿っ、何を馬鹿なことを!」
そうこうしている内にその切っ先が幸村と趙雲に差し迫り、もうだめだと息を飲んだ瞬間。
二人を囲んでいた和が乱れ、群青の魏の旗とは違う紺碧の旗、蜀軍が割って入ってきた。
待ちに待った援軍だった。
「趙将軍ー!真田将軍ー!!」
間一髪のところで現れた援軍は瞬く間に膨れ上がり、魏軍と同等あるいはそれ以上になり、辺りは忽ち混戦状態となった。
幸村と趙雲は味方に手を引かれ、人混みの中を必死に這い出る。
「幸村殿!」
幸村は差し出された趙雲の手を取り、ふと気になって後ろを振り返った。
するとそこには髪を振り乱し、血眼になって幸村を探している三成の姿があった。
その後ろ姿はこれまで見たどんな後ろ姿よりも、何倍も何倍も遠くに感じる。
「…三成殿…さようなら…さようなら…」
嗄れた声でそう呟くと、幸村は涙が止まらなかった。





幸村………幸村………
ああ、三成殿!
三成殿なのですね戻ってきてくださったのですね!
本当はずっとずっとお会いしたかったのです
すぐお傍に参れなくてすみません
趙雲殿が怪我を…私を庇って…
ああ、何から言えば
でもこれからはお傍にいて、お仕えすることができます
一命を賭してお護りしますだから
もっとお顔をよく見せてください
みつな………



「幸村殿」
誰かに揺り起こされ、幸村はそっと眼を開いた。
そこには一息吐いた困り顔の趙雲の姿があった。
「……魘されていたよ」
あれから幸村と趙雲は援軍に助けられながら、命辛々に窮地を逸して蜀の陣所に戻り、幸村は心労も重なったのかそのまま地面に伏してしまった。
そんな幸村を趙雲は自分の傷をも省みず、今の今まで看病していたらしい。
「あ…あのっ」
幸村が慌てふためいて上体を起こすと何やら頬を伝う滴がぽたぽたと落ちた。
「…あれ?あれ…」
幸村の双眼から涙が流れた。
わけもわからないのに瞳からは涙がぽろぽろ止めどなく溢れてくる。
身体をわなわな震わす幸村を、趙雲は見守るように優しい笑みを浮かべ、大きなその手で濡れた幸村の頬を包み込んだ。
趙雲の真っ直ぐな瞳と向き合う。
「ありがとう、幸村殿」
「え?」
「辛かったろう…それでも選んでくれた…。
 石田三成ではなく、この私を」
幸村の身体が、びくんと揺れ、趙雲はそれを優しく労るように抱きしめた。
「ありがとう」
耳元で囁かれて、幸村はその言葉を朧気ながら繰り返していた。
その意味を深く深く噛みしめながら。
「どうされたのだ?幸村殿…幸村殿?」
「あ…っうっ…う…」





 ―――三成殿





そのまま溢れ出る涙を止められず、幸村は趙雲の胸にしがみついて静かに泣き崩れた。

もっどかっしー!!
っていう地点に辿り着きました。
石田さんの愛は一方的すぎて、自分でどんどん不安になるタイプだと思います
どんどん趙子龍が押してますが、もうそろそろ自重すればいいですね(笑
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